柳沢の歴史

富士街道

ふじかいどう

 西武柳沢駅の北口を東西に走る道が富士街道です。柳沢北口商店街のメインストリートです。現在は都道8号線となっている富士街道ですが、江戸期から明治にかけては「ふじ大山道(ふじおおやまみち)」と呼ばれていました。

 この時代は講(こう:宗教行事においての信者の集団)をなして富士山参詣や大山詣でが盛んに行われており、下練馬方面からこの道を通って富士山や大山に向かいました。 仏教を修行する行者(ぎょうじゃ)も通ったことから、別名「行者街道(ぎょうじゃかいどう)」とも呼ばれていました。また、富士講、大山講などの参詣者が連れ添って旅をする意味の道者(どうしゃ)から、「道者街道(どうしゃかいどう)」とも呼ばれていました。

 旧中山道の志村や旧川越街道の下練馬に道標が建っており、当時から重要な道であったことがうかがい知れます。現在も練馬区内に2か所の一里塚跡が残されており、塚はありませんが富士町2丁目付近には以前「一里塚」という小字がありました。なお終点は青梅街道に突き当たる田無町1丁目交差点で、旅人は青梅街道や小金井街道などを通り、府中から先を目指したようです。

ふじ大山道(富士街道)ルートマップ
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  • 昭和29年 前澤木工より六角地蔵方面 舗装工事中© 柳盛会柳沢北口商店街

    昭和29年 前澤木工より六角地蔵方面 舗装工事中

  • 昭和29年 魚清水産前より西方面© 柳盛会柳沢北口商店街

    昭和29年 魚清水産前より西方面

  • 昭和42年 スーパー倉喜屋前© 柳盛会柳沢北口商店街

    昭和42年 スーパー倉喜屋前

  • 昭和46年 柳沢駅北口商店街© 保谷市勢要覧 1971

    昭和46年 柳沢駅北口商店街

  • 平成5年 平野書店© 社会教育課郷土資料室

    平成5年 平野書店

  • 令和4年 富士街道電柱看板© 滝島俊

    令和4年 富士街道電柱看板