柳沢の歴史

大乗妙典供養塔/青面金剛庚申塔

だいじょうみょうてんくようとう/しょうめんこんごうこうしんとう

 富士街道と伏見稲荷通りとの交差点(西武柳沢駅東)の北西角に小さなお社があり、庚申塔と供養塔が祀られています。

 青面金剛庚申塔は、上保谷村の北島氏、日留間氏、瀧島氏、名護屋氏などにより1709年(宝永6年)7月に造立されたもので、邪気と三猿を踏む三面の青面金剛立像です。

 念仏講中と彫られた下の台座は別の地蔵菩薩像のものと考えられ、後に混入したものと思われます。
造立の1年半前の1707年(宝永4年)には富士山にて宝永の大噴火が起こっており、各地で火山灰による農作物被害が出ました。

 大乗妙典供養塔は、上保谷村の道意が願主とあるが、この人物像は不明です。造立は1720年(享保5年)10月で、法華経を書写し、日本全国六十六か所の霊場を巡拝して納経を達成した記念碑です。

 当時の上保谷村は武州新座郡(ぶしゅうにいくらぐん)に属していましたが、この石塔には「新庫郡上保谷村」と刻まれており、「座」の代わりに「庫」の漢字も使われていたことが確認できます。

  • 青面金剛庚申塔・大乗妙典供養塔© 滝島俊

    青面金剛庚申塔・大乗妙典供養塔

  • 青面金剛庚申塔・大乗妙典供養塔全景© 滝島俊

    青面金剛庚申塔・大乗妙典供養塔全景